三日坊主を脱却したいのでアプリを作ってみることにした

心機一転ということではてなでブログを書いてみることにしたが三日坊主なんであんまり続かないかもね

 

…しかしその「三日坊主」という性質で色々苦労してきたので、この際その原因を調べたいと思う。解決法が見つかるならばもっとよし。

まず「三日坊主」とは、何事も長く続かないことを指す。正しく自分はそのとおりである。三日といわず一日で終わることもあれば、うまいこと数週間続いても何かをきっかけに途切れてしまってそれっきり ということもよくある。

最近の例で思いつくものは筋トレである。9月ごろから友人知人と体重減量または筋肉増量(リングフィットアドベンチャータイムアタック)で計測することを目標に数週間はこなしていたのだが、タイミングの悪いことに11月ごろCOVID-19に感染してしまったため10日ほど激しい運動は避ける必要に迫られた。そしてきっちり休んだものの、それまで筋トレしていた習慣はぶっつりと切れてしまった。休まなければ心肺機能に負担が~とか言われていたからある程度は割り切っていたが、だんだんと寒くなり今は年の瀬。筋トレをするにはあまりにも寒く、電気代も高くなってるのでエアコンをつけるのもなーと思いつつせいぜい片足スクワットの練習(なにかに捕まりながら片足でスクワットをする)をする程度になってしまった。やらないよりはマシなのだが。

また、3Dプリンターで何かを作ることも今しばらく休眠中だ。愛機と言っていいほどCR-10を使い倒したが、3Dプリンターとはアイデアを物理的に変換するもの。作り出したいアイデアが浮かんでこなければ使いようがないのだ。

どちらも「始め出すと面白い」から好きで続けていた側面もあるのだが、一度習慣が途切れるとそれをやっていたことすら思い出せなくなってしまう。思い出せないから、目の前にある他の面白そうなことに手を出して興味が点々としてしまうのだ。三日坊主ではあるが、脳のアイドル時間は小さいのが自分の特徴である。

 

思い出せないのならば外部記憶に頼るのが一番だが、自分はとにかく昔からメモを取ったりしない。記憶力はあるほうなのでそれに頼らずに生きてこられたのが原因だが、この記憶力というのも「アレってなんだっけ…」「こういうときはどうするんだっけ…」という必要に迫られたときに記憶を引き出す能力だ。必要に迫られていない知識を急に引き出すのは困難極まるのだなと気づいたのは割と最近である。

しかし外部記憶を参照するにしても、例えばメモを取ったとしてそのメモを見返すという習慣そのものを忘れることが結構ある。今までに何冊メモ帳を犠牲にしてきたことか。これはもはや自発的にメモを見ることは絶望的であると判断したので、外部的な要因でメモを見ることを想起させるしかないと思った。

しかしアラームを設定するのもなんだか億劫だしGoogleカレンダーに書くのもなにか違う。というかメモはメモで完結していてほしいからカレンダーを巻き込みたくない。「自然と目に入るようなメモ」って作れないものだろうかと思ったわけで、そこでアプリを作ってみるかと思い至った。スマートフォンだけは、外に出ようが家に引きこもっていようが必ず1日に数回は見るはずだ。まずは、その「必ず見る」ように習慣づいたスマートフォンという存在に頼ることにしよう。既存のアプリではなく自分で作ろうと思ったのは、まぁ単純に作り方を良く知らなかったから作ってみたくなったからだ。これも先述の「面白そうだから手を出してみる」という性質だ。

世の中のアプリ関係の記事の大半は「アプリを作りました」という、完成した事実が前提な気はするが、自分は完璧主義なきらいもある。

  1. 「ちゃんとしたものを作るまで記事を書けない」
  2. (そうそうちゃんとした物なんて一発目から出来るものでもない)
  3. 完璧を目指して細かいところを詰めていつまでも完成しない
  4. 「いつになったら完成なんだよ」と自分で熱意が冷める
  5. 三日坊主リストに追加 

となることが目に見えているので、それを避けるべく完成していない現状でこの日記を書いてみることにした。

ToDoリストはあらゆる言語・フレームワークでの開発の第一歩に使われるくらいだし、そういったチュートリアルを参考にすれば飽きるまでには何かしらはできるだろうという希望を持って初記事を締めることにする。