日本語で助けを求められない人間の話

この記事は大前提として以下のコラムを読んでおいて欲しい。

www.j.u-tokyo.ac.jp

 

まずタイトルにある「助けを求められない人間」とは自分のことだ。決して日本語に不自由しているわけではない。アメリカで暮らした経験は小中学校の間で4年ほどあり、それ以降もYouTubePodCastで英語を聞き取ることを継続してきたために聞き取りには不便していないし、話すほうも外資企業に勤めていた間はシンガポール人と英語を使って日常的に喋っていたため特に不便していないと言ってよいだろう。

そんな自分が前述のコラムを見て気がついたのが

日本語では助けを求めることができないのに、英語ではすんなりできる

ということだ。

これが「英語では助けを求められないのに日本語ではできる」という逆であれば、単純に「英語に慣れてないからだ」という熟達度の話でカタをつけてしまっていたかも知れないが実態はその逆だ。母語である日本語で、私は助けを求めるのを躊躇うのである。

自然言語別のOSがあるという自論

私は「外国語を現地(つまりは海外)で学習すると、人間の脳内に別のOSがインストールされる」という実体験を根拠にした自論を持っている。コンピュータに詳しくない人向けに言うならば、自分の日本語での生活がAndroidで動いている一方で、英語を使うときになるとiOSに…という2台持ちの感覚だ。だがOSが違うだけで知識はどちらのOSでも共有している。日本語で話すときと英語で話すときでは物事の捉えかたがどうも異なっているのだ。

ちなみにこの自論は10名前後にしか披露したことがないのだが、そのうち多言語を流暢に話せる2名からは賛同を得られている(残り8名は多言語を話せるわけではないので「わからない」であって反対はされていない)。

OSに話を戻すが、その英語OSでは私は助けを求めることには特に躊躇いがない。Could you help me out?とか普通にスラッと自然に言える。だが何故か日本語OSでは「たすけてほしい」「てつだって」の類の言葉が言えない。喉のあたりで声帯が震えるのを拒絶するのだ。何ならキーボードやスマホでタイピング、フリックする時でさえも指の動きが鈍るのである。助けを求める行為に限定して、吃音が発生しているような感覚である。手書きで紙か何かに書かないと助けを求められないレベルかも知れない。自分は病気なのだろうか?でも英語ならば問題はない。言語別で発症する障害なんてあるのだろうか?

小学校時代に叩き込まれた呪い

アメリカで小中学校のあいだ4年間暮らしたと書いたが、小学校の前半は日本で教育を受けた。そこで私は2つの呪いを刻み込まれた。いや、苦痛を伴っていたため刳り込まれたと言ってよいだろう。

  1. 「自分のことは自分でやる」
  2. 人間は他人の失敗を晒し上げる

前者については担当の先生が口を酸っぱくして言っていたものだ。与えられた責任を果たすという意味では当然といえば当然のことを言っているのだが、記憶が確かならば例えば教室の掃除を友だちに手伝ってもらうなどの行為を一切封じていた。友だちを助けてもそれを止めるように言われた。自分の雑巾がけやら机運びやらが特別遅かったわけではないが、「全て自分で」という意識を刳り込むには十分な標語だったと思う。

そして後者は…今でも思い出すのが苦しいのだが…自分が署名すべき何かの書類があり、それを親が何かの折に学校に持ってきた。提出を急ぐ必要があるとのことで、担任教師の許しおよび監督を得て廊下でささっと名前を書くことになったのだ(廊下には何故か長机が常においてあった)。自分の名前には「や」が含まれているのだが、自分は「や」の書き順を間違えた。教室に戻った瞬間「◯◯くん、『や』の書き順が間違ってたね~」と自分以外の30人に対してわざわざご丁寧に晒し上げてくれたのである。当然小学生の笑いのハードルなんて地中にあるようなものなので爆笑の渦であった。

この一件はその場で同級生の腹筋を多少なり痛くする程度で終わったが、ちょっとしたことで笑いの対象にされてしまうことを学習した。とても苦い学習であった。

失敗を許すのではなく失敗を気にしない世界だった

アメリカにいた間は環境がガラッと変わったことで大変なことは数えきれないくらいあった。水道水は飲めないのでウォーターサーバーから飲むこと、カフェテリアはその場で支払うものなので親がまとめて給食費を払ってくれているわけではないこと、肌の色が違うからって意識しないこと(3回ほど仲間はずれにされたことはあるが)…。

だが何か失敗をすることは苦しくはなかった。よほど酷い失敗を繰り返さない限りはネガティブフィードバックがなかったはずだ。「もう一回やってみよう」「違う方法はどうかな」があちらでお世話になったMay先生やMcPherson先生らのいつものやり方であった。そして失敗しても、助けてくれる同級生ばかりで笑う同級生はほぼいなかった。失敗に対してそれをイジられたとか、詰問されたことはどうも記憶に残っていない。

苦しかったのはせいぜいMathematics(数学)の時間とポケモンのアニメが日本語で見られなかったことくらいだったと記憶している(英語のポケモンアニメも放送されていたが、やっぱり何か違うのだ)。

後年また日本に帰国するのだが、気まぐれで入った野球部がまずかったようにも思う。別段手を抜いていなくても、落球したら「なんだそらぁ!!」と怒号を浴びせられる日々。野球そのものが楽しかったから3年間続いたが、あの怒号が無ければもっと楽しかったことだろう。

呪いの再発

さて帰国した後中学→高校→大学→大学院→社会人となったわけだが、今振り返るとことごとく他人に助けを求めるべきところで求められていない。高校生までは助けを必要とするようなことが別段無かったが、大学から今に至るまでがとにかく「なんでも自分で解決」しようとして苦しい時期が多かったように思う。講義予約システムの把握や論文執筆、実験、学会発表、コードレビューなどとにかく助けを求めてさえいればすんなり出来たはずのことが多い。

振り返るだけなら簡単な話なのだが問題はこれを今後改善できるかで、正直言って改善できる気が全くしていない。帰国してから10年以上はゆうに経過しているのに、冒頭のように「助け吃音」が今でも生じているのだ。英語で暮らせたら…と思うことが実は日常的にある。いっそのこと社内公用語が英語(今もなのか?)な楽天に転職するか(時期的に悪い気もする)、英語圏に移住でもしたほうが良いのだろうかと考えている次第である。